天気予報は見ない

社会に中指を立てる元大学生のとりとめのない日常日記的エッセイと書き散らす妄言の隙間

くん、ちゃん、さん1

突然ですが、僕は友達の名前を呼びません。

 

このことを中学、高校と指摘されてきませんでした。案外人は人にどう呼ばれているかなんて気にしませんよね、だから大学に入って、新しい友達ができても変わらずそうしてきました。

 

しかしある日、大学の友人と焼肉を食べていた際少し畏まった様子で

 

「K(自分のことです)ってなんで人の名前呼ばないの?」

 

と言われてしまいました。

 

ドキッとしました。

 

ついにきたか。

そうして僕は僕の原点とも言えるその理由を話し始めました。

 

小学校4年の2学期、前の担任が子供を出産し育休に入るため新しい担任が赴任してきました。

 

その先生は常に新しいことを始めようという教育熱心な考えを持っていました。

 

学校の裏庭にビオトープを作ろうとか、そんなことを急に言ってくる人でした。

 

そんな先生がある日

 

「クラスメイトはさん付けで呼ぶこと」

 

と謎の発令をしてきました。

 

その後にあれこれと理由を言っていたようですが当時の自分には意味がわかりませんでした。

 

僕の地元は田舎で子供が少なく、保育園からずっと一緒でクラスのみんなは幼馴染のような関係でした。

 

呼び捨てあだ名が当たり前、そんな関係がその日から少し変わっていきました。

 

「さん」付け条例発令後もほとんどのクラスメイトは今まで通りの呼称で呼んでいました。

 

しかしどの時代、どの世界にもいる正義感の強い委員長タイプの人間、そう言う輩が注意してくるのです。

 

そして帰りの会で誇らしげに発表する。担任もそれは良くないねとそれに同調する。そうしてバツが悪くなった僕たちは次第に友達を「さん」付けで呼ぶようになっていきました。

 

なんだかなぁと思いながらそんな生活に慣れていきました。

 

それから幾らか時が経ち、僕ら生徒は先生の前では「さん」付け、それ以外では今まで通り呼ぶと言った暗黙の了解が出来上がっていました。