上京したての頃、新生活と共に自分を一新したくてカリスマと銘打った美容室へ行った。
都会の美容室はビルの中にある。
とても入り辛い、田舎出身あるあるなのかもしれないが、ビルは怖い。まずどこから入れば良いかわからない。
目的地があると思われるビルの周りをうろうろして、やっと入り口っぽいものを見つけ、エレベーターに乗り、緊張の面持ちで中に入る。
と、そこにはお洒落すぎて場違い感を感じてしまう空間が。
皆、一流の都会人と言った余裕とお洒落オーラを身に纏っている。
帰りたい、今すぐ帰りたい。自分で予約しておいてなんだが、この空間にいる自分がとても嫌だった。
受付の方に予約の有無と名前を聞かれたが、無視して帰ろうとも思った。
しかし、そんな度胸を持ち合わせているはずも無く、早口で苗字を呟くと、アンケート用紙を渡された。
なんだ、カリスマ美容室は事前にアンケートを書くのか、それとも受付の挙動不審さで田舎者だと看破されて、この店のレベルに合わないと判断された僕は処刑されるのでは無いだろうか、それとも地下で死ぬまで働かされるのか?その前に最期に食べたいものを記入するのか?
そんな飛躍した妄想が頭の中で飛び交う。
が、その後はもちろんギロチン刑も地下労働もなく、スムーズに事が進み、あっという間散髪は終了した。
ワックスまで付けてもらって、僕は都会人へと変貌した。ワックスは気に入ったので支払いと同時に購入した。
なんだ、いいじゃないか、カリスマ美容室。
意気揚々とビルを出て、帰路につく。もう出入り口で迷うことはない。だって僕は都会人なのだから。
もうなにも怖くない、かかってこい、都会!
と、気が大きくなった僕の歩は点滅する青信号くらいでは止まらない、足早に駆け抜けようとした、その時。
beeeep!!!
タクシーに思いっきりクラクションを鳴らされた。その瞬間、僕の都会人オーラはクラクション音と共に霧散した。
都会の洗礼である。調子に乗るな、ハッキリとそう言われた。
恥ずかしい、何をやっているんだ僕は。
一刻も早く帰ろう、しっかりと信号は守って。
だが都会の洗礼はまだ続いた。
「お兄さん度胸あるね」
怖いお兄さんに絡まれてしまった。
あ、終わった。今度こそ地下送りだ、ごめんなさいお母さんお父さん。
何年かかるかわからないけれど、地下労働から解放された暁には真っ先に田舎に帰ります。
こんなバカ息子でごめんなさい。さようなら。
そう腹を括った。
が、どうやら話を聞くと僕を責めている訳ではないようだ。
お兄さんはキャバクラのスカウトをやっている人らしい。
そして青信号ギリギリを渡る僕の度胸を気に入ってやってみないか?と声をかけてきたのだ。
つまり、スカウトのスカウト...ややこしい。
いやいや、怖すぎる!なんだそれ!スカウトした女の子がキャバ嬢になったら10万貰える?やらない!やらない!
勿論断る、が流石プロのスカウター、全然引き下がらない。
「じゃあせめてLINEだけでも」
「すみません、すみません。」
めちゃめちゃ口説いてくる。
「インスタは?インスタならいいでしょ?」
「インスタやってないです」
「なにそれ!?そんな人いるんだ。もったいないよ!輪を広げないと人生損だよ!」
もうやめて、と足早に駅を目指す僕の足が止まりそうになる。
輪を広げないと人生損。
僕はSNSをほとんど利用しない、輪を広げようとも思わない。
自分が本当に信用して、好きな友達だけいればそれでいいじゃないか、そう思っている。だけどその言葉が胸を刺す。
SNSを使って、友達を増やして、輪を広げる。
そうやって人生を豊かにする。
それが今の若者の生き方の主流なんだ。
自分の在り方と、周りの在り方の違いをありありと見せつけられるようで、なんだか孤独感に襲われる。
スカウトのお兄さんを振り切り、電車に乗っている間もずっと胸がもやもやしていた。
家に着くと、どっと疲れがやってきた。
えらい目にあった。都会は知らないことだらけだ。
都会人への道のりはまだ遠い、その一歩として、ひっそりとインスタを始めた。
別に輪を広げる訳ではないけれど、都会を生き抜く術として、やっておこう。
手始めに、髪を切ったことでも投稿しようか。そんなことを思ったけれど、疲れて寝てしまった。セットが崩れた寝起きのぐちゃぐちゃの髪を投稿するわけにもいかない。
結局、いままで投稿なんて一回もしてこなかった。
しかし、それでいいと思っている自分がいる。
僕は、未だ都会人にはなれていない。